公共工事の多くは、残念ながら左記で述べているようなエンドユーザーの価値という視点が足りない、と私は感じる。
こう言うと、多くの公共工事関係者から批判されるかもしれないが、彼らを侮辱しているつもりはない。
彼らは一生懸命与えられた使命に尽力している。
問題はシステムにある。
公共工事発注の仕組みそのものが、時代に合わなくなっている。
そのことは、エンドユーザーの価値を起点として、検証してみるとよくわかる。
公共投資というものに内在するいくつかの特性が、エンドユーザーをないがしろにする。
「予算主義」によって決められた枠内のお金を、「均等配分」することでこれまでの公共工事は成り立ってきた。
そこには、事業全体をプロジェクトとして管理しようという視点はない。
エンドユーザーの求める価値を一刻も早く届けようという意志はない。
限られた予算の中で、あっちの工事もこっちの工事も、すべての仕事を最優先とし、各事業に均等に予算を割り当てて、少しずつ工事を進める。
そうしないと、事業によって効果を得られる地域に不公平が生じるからである。
不公平解消は当然のごとく政治的な要素も含む。
しかし、そのような不公平解消の努力の結果、エンドユーザーは誰も得をしていない。
すべての事業の効果発現が均等に遅れてしまうからである。
また、仕掛り事業の数が増えることで、さまざまな悪いことが起こる。
事業の遂行に必要な人員は増えるし、管理のための努力も経費も増える。
管理する人たちは必然的に、掛け持ちで事業を執行せざるを得なくなる。
彼らは、プロジェクト単位ではなく、発注される仕事単位に割り当てられるからである。
いくつもの事業の部分的な処理が仕事になり、悪くすれば、その事業全体がエンドユーザーにどんな価値を与えようとしているのさえ見失う。
公共工事が本来の目的を効率的に達成するためには、公共工事というシステムそのものを「エンドユーザーに価値を届けるプロジェクト」という視点から見直すべきである。
今従っているやり方は、過去には正解であったかもしれないが、現在も正解であるとは限らない。
現在のやり方に縛られることなく、あるべき姿を真剣に考えるべきである。
お金と時間と、優れた人材の能力をいつまでも浪費することはない。
公務員バッシングなど人に対するバッシングは議論の本質をすり替えている。
長所も欠点もある人の能力を生かし切れないシステムにこそ問題がある。
それこそ、公共工事の本当に「もったいない」ことだと思うのである。
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